電脳戯曲

lo-tus2006-05-31


こうして時々ブログを更新していると、ふと不安に思うのは、災害や事故で関連サーバーがすべて壊れてしまったら、積み上げてきたものがみんな消えちゃうんだなーってこと。過去のものを読み返すと、なかなかおもしろいものも、恥ずかしいものも、まあいろいろだけど、そういう自分の記憶がすごく曖昧で不安定なシステムの上に成り立っていることを時々思い出す。いちいちバックアップもとってないしね。
紙と鉛筆で書いたものなら、ちゃんと保存すれば何十年、何百年も生き残るし、筆跡でその人を特定することができる。デジタルデータはそうはいかない。自分の意志にかかわらず、消えるときは消える。そもそも実体がないのだ。このブログだって所詮0と1の組み合わせでできた仮想世界。「モノ」は捨ててしまえば空間的な「不在」を感じることができる。でもデジタルデータは捨てることの実感さえ曖昧な世界。
いや、ちょっと待って。だいたい僕は何かを残したいと思っているのだろうか?むしろ自分の足跡なんて、そんなに執着しない。さらに、パソコンやインターネットやブログというものが発明されなければ、日記なんて書いていたかどうかさえ分からないではないか?それに、私的なのか公的なのかよく分からない文体は、果たして日記と呼んでいいのだろうか?(現に今回のタイトルは“戯曲”となってます!)そうか、バーチャル世界以上にあやしいのは、自分の思考だったりなんかしちゃったり。
コンピュータがデジタルで、人間がアナログ・・・、という考えは甘いかもしれない。人間こそ、コンピュータよりもはるかに高度でデジタルな存在で、コンピュータは今、人間に追いつこうとして発展の歴史を歩んでいるのではないかと言っては、言い過ぎかしら?茶碗が手のひらのシミュレーションであるように、コンピュータは脳のシミュレーションなのだ。ほら、電脳って言うでしょ。
ま、お互いウィルスにやられたり多少のバグだって持っている。空高くから客観的にみれば、人間もコンピュータも、まだまだ「かゆいところに手が届かない」という点において同類かもね。