コピーとカバー

lo-tus2006-06-07


最近世間を騒がせている絵画盗作問題。盗作と言われても仕方のないぐらい、確かに似ている。渦中のW氏は、あれだけのスキルを持っているのだから、その才能をもっとほかのことに生かせばいいのに。W氏が、著作権で稼げる「画家」だと名乗るのから話がややこしくなるのであって、「私はアナログな手法でコピーを作れる絵画職人だ!」と開き直って宣言してしまえば、世間からは「Good Job !」と賞賛されるかもしれない。そこに職業のミスマッチがあった。まあそれはさておき、W氏に欠けていたのは「敬意」だと思う。影響を受けた人への敬意、アートへの敬意、そして自分というフィルターへの敬意。
盗作事件自体は過去から今まで、山のようにあったし、これからもあるだろう。何をもって「コピー」というか「オリジナル」というか、その基準は微妙なところだ。そもそも世の中に、純粋にオリジナルなものって一体どれぐらいあるんだろう???誰だって先人の影響を受けているし、知らず知らずのうちに真似をしている。今回のW氏の例はお粗末なコピーだけれど、逆に「私こそがオリジナル!」なんて自分を権威づけようとする類のアーティストだって、僕は信じない。
横尾忠則さんが子どもの頃、大好きな少年漫画の挿絵を完全コピーしたというエピソードがあるが、今は御存知の通り、オリジナリティの高い独自の境地を切り開いている。やっぱりコピーは若い頃にするものだ。そうそう「若いときの苦労とコピーは買ってでもしなさい!」という、ありがたい諺を思い出した。(???)
ところで音楽の世界では、「カバー」というのがある。「コピー」に似てるけどちょっと違う。学生バンドがビートルズの曲をやるのは「コピー」。ある程度活躍したミュージシャンが、影響を受けた人の曲を敬意を持って再演するのが「カバー」(中にはコピーの域を出ない「焼き直しカバー」もたくさんあるけど)。
カバーの名手と言えば、たくさんいる中で思い浮かぶのは、例えば・・・、ダニー・ハサウェイとか、矢野顕子とか。このレベルの人となると、いつの時代の誰の曲であろうが、まるで自分のオリジナルのごとく料理してしまう。誰のカバーなのか、何という曲なのかも気付かないぐらい。それがまた原曲よりもカッコよかったり。ダニー・ハサウェイなら、ビートルズをSoulに変えてしまうし、矢野顕子なら民謡・童謡をJazzyな矢野節に昇華させる。そうなるとカバーだとかオリジナルだとかの区別は、もうナンセンス。音楽に対する愛(=敬意)があればこそ。
長々と書いてしまったが、今日のまとめは・・・
「パクリ方にもセンスがあるさ」ということで。