ライトアップ狂想曲

lo-tus2006-11-24


いま、とにかく京都は人が多い。紅葉シーズンということで大勢が押し寄せて、市内の移動がエライことです。確かに秋の京都はBeautiful。でもこの混みようには何年住んでも慣れることができない。
昼間の混雑だけならまだしも、ここ数年、夜まで混雑しています。なぜかというとライトアップという名の“ナイター営業”をする有名寺院が増えたから。これがことのほか人気で、年々数が増えて、ちょっとしたブームになってきた。場所によってはヘタすると昼間より混雑しているという事態になっています。
ウチの近所・東山界隈でも、清水寺高台寺知恩院、青蓮院と・・・、ライトアップ数珠つなぎ、光のベルト地帯になってます。ライトアップもさまざまで、普通の照明から凝りまくったアート風のものまで、それぞれのお寺でテーマがあります。去年などは何ヶ所か行く機会があったのですが、お寺が競って「光のテーマーパーク」に変わっちゃってました。次から次へとパビリオンをのぞいているような気分になりました。
ま、それはそれでおもしろいんですけど、このライトアップとか夜景とかいうものに、どうも素直にウットリできない屈折したところが私にはありまして・・・。
そりゃ夜のお寺は独特のムードがあって良いなあとは思いますよ。でもね、これだけ増えてくると、どこもかしこも「右へ倣え」で、ライトアップ、ライトアップって(文字通り「無闇」に)、ちょっとヒステリックな空気を感じませんか?みんな癒しの光を求めたはずが、かえって喧騒を呼ぶというおかしなことになってませんか?
夜は暗くて当たり前。それに、そもそも昔に作られた建物や庭は、明るく照らされることを想定していないはずで、月の光やロウソクのほの灯りで楽しむのが本来であるはず。ライトアップすることは、庭の本当の魅力や作者の意図を損ねているのかも・・・と思うわけです。
谷崎潤一郎は『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』の中で、日本独特の淡い光や闇を称賛しました。「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生だって「都会には闇がなくなって妖怪が住めなくなった」と嘆いておられました。照らせば照らすほど見えなくなるもの・・・それは「闇/Darkness」。
だから今度はライトアップではなくて、ライトダウンをして入れてくれるお寺があれば・・・、月のいい夜にぜひうかがいます。