新しい音

昨年2006年もいろんな音楽を耳にした。振り返ってみると「これは新しい!」という視点で、特に印象に残っているレコードが2枚ある。1枚は「Half the Perfect World /マデリン・ペルー」。もう1枚は「Sensuous /コーネリアス」。一方は歌モノ、一方は音響モノ。音もスタイルも全く違うタイプの音楽。にもかかわらず、共通した新鮮味があった。
 
まず「Half the Perfect World」は、彼女の歌がいい。抑え気味にじっくり噛みしめるように歌われる歌は、なんとも切なくて胸の奥深くまで染み込んでくる。嬉しいときも悲しいときも、どちらのサウンドトラックにしてもいいような、心の機微を歌う力が秀逸。バックの演奏もやはり抑え気味で、すべてオールドタイムなジャズスタイル。オリジナル曲のほか、ジョニ・ミッチェルトム・ウェイツゲンスブールなどカバー曲も多彩。こうして書き連ねると、新しい要素など何もないように思える。しかし、音楽は聴いてみなければ分からない。マデリン・ペルーは歌の解釈力が素晴らしい。知っている曲なのに、今まで聴いたことのない曲・・・。古い時代の曲や演奏スタイルを取り入れながら、しっかり自分の中で消化して、今の世界に響く新しい歌に仕上げているのだ。「昔はよかった・・・」じゃなくて、過去を振り返りながらも「明日もやっぱり暮らしていこう・・・」そんなふうに思える。
一方の「Sensuous」は、音の異次元空間。小山田クンの編集センスも円熟の域に達してきた。円熟するということは、シンプルになることかも知れない。音数はむしろ少なくて、風鈴の音だったりアコースティックギターを多用している分、一音一音に対するこだわりが並大抵ではない。したがって音がむちゃぐちゃいい。あるときはエレクトロニカ、ある時はミニマル、ある時はネオアコだったりハードロックだったり・・・、どこかで聴いたことのあるような音の世界が複合して、結局どこでも聴いたことのない音楽になっているのだ。それらがけっして小難しくならず、彼一流のポップセンスに貫かれ一気に聞かせてしまう手腕がスゴイ。また日本語の歌詞も、細切れで「音(おん)」として組み込まれていき、次第に意味の世界からスルッと抜け出る快感。音楽を聴いて「日本語は美しい」と思ったのは久しぶりだ。あっけらかんとスゴイことをやってのけている「Sensuous」、音楽ってこんなふうにしても成り立つんだなーと驚いた。こちらも今の世界に響く傑作だと思う。

最初に「この2枚は、音もスタイルも全く違うタイプの音楽」と書いたが、どうやら共通点は「音の解釈力」らしい。お互い、表現しようとしている感覚が新しいのだと思う。そして自分の表現にこだわるほど、音はシンプルになる傾向があるらしい。20世紀に生まれたポップミュージックの数々も、いろいろ出尽くしたと思っていたけれど、解釈によってまだまだ新しい響きが作れるもんだなー・・・。
今日は何の予定もない日曜日。ソファに寝そべっていろいろ好きな音楽を聴いて、幸せな気分に浸りながらそんなことを考えた。