所詮、光と影

lo-tus2008-02-21


市川崑監督の映画を観ていて一番ドキッとするのは、推理モノにしろ時代劇にしろ文芸大作にしろ、映像美に酔っている途中で突然実験的な映像エフェクトやカット編集が、パッと割って入ってくるところです。例えば横溝シリーズで言うならば、事件に関る決定的な過去の場面、殺人の場面、金田一さんがひらめく場面 etc. 誰もが楽しめる娯楽作品の美しい映像の中で、突発的に異質な映像が割り込むチラリズムとでも言いましょうか?
そして彼の生涯における膨大なフィルモグラフィーの中にもやはりチラリズムがあります。それは『黒い十人の女』『私は二歳』といった、わずかばかりの60年代の作品。着想が抜群に面白くて、大半の「大作映画」とは違った、とてつもなくクールでシニカルな眼差しがチラリと光ります。
しかし市川監督の中では、娯楽も実験も、ほとんど区別がなかったのではないかと思えます。あらゆる世界は、一旦フィルムに焼き付けてしまえば、単なる光と影の濃淡。映画のテーマとかコンセプトなど二の次で、市川監督は、映像を撮り編集すること自体を至上とする「映像職人」ではなかったか???監督が残したこんな言葉を読んで、僕はそう思いました。

「映画は所詮、光と影だと思います。
 光と影がドラマなのです。
 その光と影は、尽き果てることのない
 永遠のものだと思います。」
               市川崑

「所詮、光と影」。この言葉、好きです。
映画は気負って撮るもんじゃなくて、ほんの戯れ・・・。そう言って笑う監督の顔が、立ちのぼるタバコの煙の向こうに浮かんでくるようです。