Memory

lo-tus2008-03-31


昨日、新聞のコラムで読んだ話。
人間というのは、いろんなことを忘れていく動物だけど、それがコンピュータのおかげで「記憶の持ち方」が変わりつつあるらしいです。行った場所、会った人、読んだ本などのことを写真や文章で詳細にパソコンに残せるようになったので、頻繁に振り返っていたらそれらの出来事が「過去」にならないとか。
実際そういう実験をした人がいて、膨大な情報をコンピュータに蓄えて、検索もしやすくして、画面上に過去の写真をスライドショーに写すような生活を続けると・・・。10年前に行った旅行も1週間前に行った旅行も同じように鮮明に思い出されて「過去がなくなった」とのこと。


時が過ぎれば過去になる、忘却こそ人間のに与えられた最大の才能であり美徳である・・・と信じていた僕にとって、「過去がなくなった」という実験結果は、かなりショック。同時に自分には、このような実験をする勇気はないなと感じます。「そんなに忘れたいことが多いの?」と聞かれれば、そういうわけでも無いですが、記憶がたまるばかりで脳のMemoryが満タンになった時、自分は一体どうなっちゃうんだろう??という状況はとりあえず怖い。


人間は忘れるけれど、コンピュータは忘れない。そう思うと、なんだか悔しい気もするので、そもそもお互いのMemoryの差異について疑ってみることにしました。(ちょっと意地になってます)
人間の脳のMemory は、流れ込んでは出て行く源泉かけ流しの天然温泉みたいなものだけれど、コンピュータのMemory は、限界容量の範囲ならどんどん蓄えられる、巨大な五右衛門風呂のようなもの。同じお風呂とは言え、両者は「お湯」が違う。浸かったときの感覚や効能も・・・。


コンピュータよりも人間が勝っているのは、自然の光や音や匂い、その土地独特の「場の力」までは記録できるところ。本当に「懐かしい」と感じるのは、人の五感を刺激する生身の記憶ではないか?


脳の記憶のキャンバスには、自分を取り囲む雑多なすべてのものが入れ替わり立ち替わり飛び込んできては消えていき、あるものは残りあるものは朽ちていく。僕などは、そこに起こる風力にあおられて生きてるようなものです。また記憶は感情と仲良しで、それらが手を組んだ時、事実が少し歪曲して残っていくのも、いとをかし。


それでも歳とともに記憶領域がだんだん埋まってくるせいか、最近物覚えが悪くなっているような気がします。それならばパソコンを記憶の相棒として駆使するのもいいかもしれませんが・・・、多分データを残してもそれがどこにあるのか覚えてられなかったりするので、猫に小判みたいなもんです。
そりゃあ記憶力と言うよりも整理能力の問題で・・・それはまたこの次のお話に。