乗り物

lo-tus2008-04-09


自分の周辺や、自分より上の世代のいろんな親子の顔を観察していて気付いたことがあります。もちろん親子だから、どこか似たところがあるものだけれど、似ているという範囲を超えて「同じ顔!」になる時期が一時期あると思ったのです。
それは、その親子お互いが生まれたばかりの赤ちゃんの頃の写真を見比べた時、あるいは、お互い年老いて老人になった時点の写真を見比べた時・・・、ドキッとするほど「同じ顔」に見えることがしばしば。その人生の中間の幼児から初老の頃にかけては、もちろん似ているけれど違うところもたくさんあるのに・・・。つまりこういうことです。「親子は人生の最初と最後に同じ顔になる」の法則は成り立たないだろうか?

親子には年齢差があるので、上記のような現象は写真や記憶の中でしか確認できません(リアルタイムに同じ顔は存在しない)。しかしそういう事柄を見ると、やっぱりDNAって抗い難く強いものだと感心するし、親子は親子でしかないんだなと、なんとなく諦めたような気分になります。
僕は常々、人間の肉体というのは、その物質的な「DNA」と、一般に「魂」とか「心」とか呼ばれるような動力とが相乗りする乗り物のようなものだと思っています。それはもちろん自分で創ったものではないので、偶然どこかから借りてきた一時的な乗り物と言えます。また、一度乗ってしまったからには降りられない乗り物なので、それならせいぜい死ぬまでは大事にお預かりしようかという気にもなります。
生まれてから成長するに従って、どんどん乗せるものが増えていく。その荷物は20、30代でピークに達して、あとは老いるごとに捨てていくだけ・・・。僕もまだそれほど老いているわけではないので、本当のことは分からないけれど、なんとなくですが、人生そういう放物線のようなイメージがあったり。
生まれた時は荷物はゼロに近くて、また60、70歳と老いていく過程でゼロに近づいていく。
親子は人生の最初と最後に同じ顔になる??あれは荷物の下から裸のDNAがひょっこり現れた顔なんだな・・・、という仮説。

*追記
この日記のタイトルを「乗り物」にしたので、連想的にジェットコースターが思い浮かんで画像を探したら、なんとそこに現れたのは・・・、人生の放物線みたいな「アップダウン」やDNAのような「らせんコース」。そうか、今回はジェットコースターの話だったのかというオチが付きそうになったところで、今、ポンとヒザを打ったところです。ええ確かに、生きるってジェットコースター以上にグニャグニャで・・・。