ケータイ

lo-tus2008-04-28

およそ5年ぶりに携帯電話を買い替えました。今まで使っていたものが壊れたから。そんなことでもないと電話は新調しないんです。僕は物持ちがいい方なので。
画面が真っ白になり、こりゃ流石に燃え尽きたかなと・・・。人からメールがきても読めずに「今のは一体何なんだ??」と、不思議が増えるばかり。
「真っ白になる」という壊れ方はなかなか良いと思いました。その昔、明日のジョーが「燃え尽きちまった、灰みたいに真っ白にな」と言ったように・・・。機種変更手続きを終えて、データ(魂)を抜かれた初代INFOBARは、試合後のボクサーか張りぼての蝋人形のような冷たい風情になりました。とは言え捨てるのも勿体ないと思い、今後は部屋のインテリアとして第二の人生を歩んでもらうことに。僕は物持ちがいい方なので・・・。
買い替えたといっても、実はあまり変わってないのです。通話とメール以外の機能にはほとんど関心がないので、選ぶ基準は見た目のデザインだけ。すると今はINFOBAR2が後継機として出ているので、特に迷わずに決めました。今回のバージョンはちょっと丸い。電話も人間と同じ、世間の荒波にもまれて丸くなったんだな・・・と勝手に思う。
しかし5年も経つと、携帯の機能は進化し、自分が使いそうもない細かい機能がますますたくさん増えていることにビックリしました。ここまで来ると、もう電話じゃないな。カメラでありテレビであり、音楽プレーヤーでありおサイフであり・・・And more。
初代を手にした時は「こんな無駄な機能をたくさん付けちゃって、一体誰が使うの?」と、呆れてしまったものですが、今、さらに何でも節操なくコンパクトに詰め込んでしまったケータイに触れると、呆れるという態度をこえて、その技術のスゴさにだけは無邪気に手をたたきたくなるほどでした(とは言え、やっぱりほとんど使いもしないくせに)。これは、小さな鉢の上に宇宙を表現しようとした盆栽・・・、アッパレMade in Japan!なんてね。
この手のひらサイズの端末が、世の中で未だに「携帯電話」と呼ばれているのが不思議なぐらい(単に「ケータイ」とか、デキるビジネスマンなら「モバイル」なんて言いますか?)。使う人によって、何と呼んだって構いはしないです。それぐらい複雑怪奇な進化・拡張を遂げた小さな物体。しかしこの先、あまりにも使えない器官は退化して、消えていくに違いない・・・とも思っています。それが進化の摂理。
この文明の利器について、やはり曖昧に「ケータイ」という呼び方が、一番ぴったりなのかも(「携帯電話」ではなく)。なんだか分からないけど、良くも悪くも何かしら複雑な「つながり意識」を否応なく携帯させられる道具として・・・。
さて最後にQuestion。あなたは携帯電話を忘れた日、どんな気分になりますか?
A:しまった!何か連絡入ってないか気になるなあ・・・。コミュニケーション不全に陥りそう!
B:良い着信でも悪い着信でも、「知らなかったこと」は「無かったこと」。気にしない。
僕はB、たまーにAです。