『フェリーニ 大いなる嘘つき』

lo-tus2008-06-16


グミアン・ペティグリューという人が撮った『フェリーニ 大いなる嘘つき』というドキュメンタリーを観てきました。映画のオープニングは、海水浴場のカラフルな建物がゆっくりパンされていき、そこに「アマルコルド」の甘美なテーマが流れ・・・。これはフェリーニの新作か?と思うぐらい、さっそくグッときてしまった(フェリーニ映画とニーノ・ロータの相性はいつだって200%!)。
監督最晩年のインタビューや、関係者の証言からフェリーニ監督の実像が明らかに・・・なるかと思えば、この人は実像が虚像で、虚像が実像で・・・ますますフェリーニ・ラビリンスに迷い込んでしまいます。
監督自身の言葉を引用すると・・・

私には生まれつき創作の才能があって、子供時代や家族との関係も、女性や人生の関係も全部創作してきた。現実より創作したもののほうが本物に思える。(中略)・・・つまり、私は大嘘つきなんだ。

映画の中では、昔の映画の撮影風景なども記録されていて、撮影の「現場」の雰囲気がドキドキするほど刺激的でした。完璧な演出、変化する脚本、スタッフにも具体的なことは教えない秘密主義(監督は常にみんなを驚かせたかった)などなど、倒錯的な映画狂の姿がうかがえます。カサノバを演じたドナルド・サザーランドは、いまだに憎々しく撮影の苦労を語り(ホントに「出るんじゃなかった」と後悔しているんでしょうね)、『悪魔の首飾り』で、アル中の英国俳優を演じたテレンス・スタンプも、ぶっ飛んだ演技指導の様子を、つい昨日の神秘体験を思い出すかのように、生き生きと語っていたのが面白かった。
しかし、そんな監督に質問などせず、最も従順だったのがマストロヤンニだったとか。彼の場合、監督の理解者というよりも、夜遊びが過ぎて眠くて質問する気にならなかったというのが真相らしいですが・・・。
俳優やスタッフがいくら恨もうが、フェリーニ監督はどこ吹く風でしょう。なぜなら、あんなに美しく、可笑しく、甘く、退廃的で、せつなく、エロティックで、悲しく、強い映像世界を作り上げたのだから。スタッフに最大の力を発揮させ、類比なきフェリーニワールドを成し遂げた「手口」は、妥協を許さないプロの仕事師。「映画監督」という立場において絶対的に正しかったことは、残されたフィルムの数々を見れば・・・文句の言いようがありません。
フェリーニを大嘘つきと知りながら、騙されるのが快感なんだから。