もう一人の自分

lo-tus2009-03-05


仕事の用件でAさんに電話すると「あれっLotusさん、さっき○○に居ましたよね?もうそっちに戻られたんですか?」などと不可解なことをおっしゃる。
僕は「へっ!?いや、僕は今日はずっとここにいるんですけど・・・」と事情を説明したのですが、それじゃあAさんが見たその人は一体誰だったんだろうという疑問は残ったまま。
多分Aさんの人違いでしょうけど・・・、でなければ僕が幽体離脱したか、はたまたクローンか?あるいはまだ見ぬ双子の兄弟が出現したか(これが一番恐い)、僕に会いたいというAさんの情念が造り出したイリュージョンか・・・???真相は薮の中です。
「もう一人の自分」というのは、マンガとかフィクションの世界でよくあるシチュエーションで、現実的には有りそうもない話。しかしもう一人の自分がいればいいのに・・・と思う場面は、実は普段しょっちゅうありまして、
例えば・・・
・飲み過ぎた翌日、仕事に出なければならないとき
・仕事でしくじって、クライアントにお詫びに行かなければならないとき
・いっぺんに用事が重なり、猫の手よりも、勝手知った自分の手を借りたいとき・・・
  etc.
あ、こうして挙げてみると、すべて「逃げ」ですね。いけません。
自分の代わりが居ないからこそ、毎日忍耐力、反省力というようなものを養うことができて、一応社会生活を営んでいけるものだと理解しているつもりです。
さて、実際に自分の肉体は一つしかないわけですが、精神的には「もう一人の自分」を感じることはあります。例えば、家に居る時と仕事に出ているときとでは違う役割を担っていると思うし、特に後者の場合、立場が上の方に対して心にも無い社交辞令を言う場面では(もっとも、ぜんぜん上手く言えませんが)、「あ、もう一人の自分がいる!」とヨソヨソしく感じることもしばしば。みなさんだって、文明社会で暮らす人は誰でも、多かれ少なかれ複数の人格使い分けは必須科目ではないでしょうか?
もう一人、どころか何人もの自分が居る。そこで「じゃあ本当のあなたは誰ですか?」と問われても、こんなに困る質問もないでしょ?自分で名乗るよりも、他人が適当に決めてくれれば・・・それはそれでいい。