おしゃかさん

lo-tus2009-03-16


昨日3月15日はお釈迦様の命日で(旧暦では2月15日だそうですが)、とても懐かしい絵を見てきました。その絵というのは、自分が生まれ育った家の近くのお寺で、3月15日に掛けられる4枚の「掛け軸」。お釈迦様の涅槃図、地獄絵図などが本堂の中に披露される、ちょっとしたお祭のようなもの。格式のあるお寺では一般に「涅槃会(ねはんえ)」などと呼ばれる類いのものでしょうけど、そこは田舎の小さなお寺なので、地元の人はその行事のことを単に「おしゃかさん」と呼んでいます。
で、その掛け軸は子どもの頃、今は亡き祖母に連れられて毎年のように見に来ていたもので、地獄絵図の前に来ると必ず「悪いことをすると、地獄で痛い目にあう・・・」などと脅され、すっかりビビってしまった思い出があります。
そんな絵を昨日○十年ぶりかに見たんですけど、絵のインパクトは昔のまま。やっぱり一番鮮明に甦ったのが「地獄絵図」でした。それだけ強く脳裏に焼き付いていたのでしょう。それは誰もが想像する、絵に描いたような地獄の様子で(まさに絵に描いてあるんですけど)、閻魔大王の前で繰り広げられるお仕置きの数々・・・針山あり、舌抜きあり、釜ゆであり、半人半獣あり・・・という感じ。すごく生々しい「痛み」が伝わってくる絵です。それが子どもの頃恐くて恐くて、今見ても十分に恐い。
昨今はホラー映画や暴力シーンを子どもたちが見るのは禁止されるのに、こういう仏教画は禁止されることはありませんよね。どちらかというと、この地獄絵図のほうが、そのへんのホラー映画よりよっぽど猟奇的で悲惨で恐いと思うわけです。日本画独特の陰影も相まって。実際そんなものを子どもの頃に見て、トラウマのように今も残っている自分がいます。
この両者の違いは何でしょう?映画やテレビの暴力シーンは、大抵は人間の視点(悪意)があるけれど、地獄絵図の場合は人の意志でコントロールできない絶対的な裁きの世界が広がっている・・・というところでしょうか?原因は必ずそれなりの結果を引き起こす(因果)という戒め。そこでは自分で自分を痛めつけているような、自業自得の恐怖がグッと迫ってきます。こりゃ、逃げられないな〜、と。
さて大人になった今、この絵の前で立ち止まって、今までの自分の道のりを振り返ると・・・、地獄に落ちるような大きな悪事は働いてないはず(多分、ですけど)。そのかわり、天国に行けるようなとびきりの善行もしていないような気がするし・・・。閻魔大王にお目にかかることになるのかどうか、判決はまだまだ持ち越しそうです。
扉を開けてお堂の外に出ると、まぶしい三月の風。お寺に咲いた梅の香りが漂っています。再び下界の時間が動き出します。
なむなむ・・・