検索と物色

lo-tus2009-06-15


先日の日記では中古店について考察しましたが、なかなか忙しくてゆっくりショッピングをしているヒマなんて無いことだってあります。しかし最近は便利なもので、そんな時でも大抵のものはインターネットで手に入る。インターネットで物を探すのは「検索」。実際のお店で探すのが「物色」となります。たとえ探すものは同じでも、探す過程の違いによって呼び方が変わる。そしてそれぞれ、使う脳の部分がまったく違うような気もします。検索が左脳的なら、物色は右脳的か?言葉の響きをみても、「検索」ってどうも機械的でロジックな感じ。それに対して「物色」の方は文字通り物の色を探るような・・・なんというか「色気」を感じます。
検索と物色。検索の利便性は認めつつ、物色への欲求も断ち難い。そもそも僕が子どもの頃はネットのない時代だったので、欲しい物は、多少マニアックなものなら尚更物色するしかなかった。「三つ子の魂、百まで」ということで、そんな初歩の感覚がいまだにしみついているのかもしれません。
ネットで見ている商品は、あれは「データ」です。しかし店頭で見るのは色も質量もリアルな「現マナ」。で、前回の日記にも少し関連しますが、店頭ではモノを見ているだけでなく、色や臭いや質感も感じられるのが「物色」たる由縁です。世界中のものを瞬時に検索できるスピード・品揃えでは断然インターネット優位。しかし自分の勘を総動員して通い詰め、マニアックな店主との会話もあり、品物を棚から出したり戻したりを繰り返し、財布の中身と相談し(コレ重要)、高いものは値切ったり、時には衝動買いを後悔し、そうして時々「運命の品」に出会うという体験の面白さから言えば、たとえ小さなお店でもネットの世界以上に意外と豊かな宇宙が広がっている・・・というのはちょっと言いすぎのような気もしますが、まあ捨てたもんじゃないということです。
実店舗では、その時の気分で物色するわけですが、それに相当するものとしてネットショップでは「○○を買ったあなたにお勧めアイテム」というような仕組みが誂えられていています。しかしあれは本当に安直なデータの集積なので、みなさんどうだか分かりませんが、僕の場合はほとんど役立たない。本心から勧められているような気がしないから。
例えばジャズのレコードを1枚買うと、似たようなジャズ系がおすすめリストに挙がります。しかし2日続けてジャズを聴きたいとは限らない。「昨日はジャズ三昧だったから今日はロック三昧にしよう!」とか、「でも今日は暑いから、やっぱり気分は南の島、ガムラン聴きてぇ〜」・・・というような「気分」が反映されていないところが、あのシステムの致命的な欠点だと思います。機械に対してそこまでワガママ言うのは酷ですけどね。
それよりも、自分の嗅覚で適当に選んだり、信頼できる音楽好きの友人とか、レコード屋の店主に「このレコード、なかなかいいよ」と教えてもらったものの方がよっぽど「おすすめ的中率」は高かったり。そんな時、世界中の無数の情報よりも、身近で大切な2、3の情報があれば、実際何とかなるもんだと思い知ります。
さてそんなわけで今僕も検索・物色を兼用してます。テクノロジーは日進月歩。そのうちネット上でもリアルな店舗をそのまま再現した物色感覚が楽しめるネットショップが現れるかもしれませんね。本なんかでも手に取るようにパラパラと立ち読みができて、時々ハタキを持ったヴァーチャル店主が邪魔しに来て不幸にも閲覧中断・・・。これは効率重視のネットの世界では一般的には迷惑なプログラムということになりますが、その状況を面白がるだけの余裕は持っていて良いと思います。