日蝕

lo-tus2009-07-21

「日食」は昔は「日蝕」と書いたそうです。「日蝕」のほうが、文字の雰囲気が断然恐ろしい気がします。だって、いつも空にある太陽が・・・、今まで昇らなかったためしが無い太陽が蝕(むしば)まれるのですから、並大抵のことではありません。今でこそ科学の力で日蝕の仕組みは解明されていますけど、昔の人はショックだったでしょうね。ある日突然太陽が欠け出したら「この世の終り」と大騒ぎしたに違いありません。
マンガ「火の鳥 黎明編」では、日蝕卑弥呼の死がリンクしていたので(なんたって卑弥呼=日の御子ですから)、気になって調べてみると、実際邪馬台国の時代に、卑弥呼が死んだとされる時期に、二度も日食が起きていたという記録を見つけました。日蝕とともに本当に一つの世界が終わっていたのです。偶然といえば偶然ですけれど、昔は人と太陽って、もっと距離が近かったのではないかと思います。日本、日出ずる国、太陽の位置から二十四節季を定めている国・・・。この国の、太陽との関わりの深さを想います。
日蝕」は今や天体ショーの「日食」になりました。太陽を食べる、か?そうすると僕などは、まあるいサンライズを噛るシーンを思い浮かべます。でも見るならサンライズではなく「日食サングラス」。話題になっている割には、僕の知り合いは誰も持っていないのはなぜだろう?(持ってたら貸してください!)
日食を観るツアーなどというのも、色々とあるようですね。行きたいような行きたくないような、僕の中では微妙です。それは、太陽が消えるのを見たいような見たくないような、恐いもの見たさのせめぎ合いがあるもんですから・・・。黒い太陽なんて、禁断の絵です。
しかし、いよいよ明日。空に注目します。同時に、欠けた太陽の光ってどんなだろう?世の中違って見えるのだろうか??と。夜明けでも夕暮れでもない地上の色(薄暗さ)にも目を凝らしたいと思います。