かけがえのないもの

lo-tus2009-07-13

『かけがえのないもの』というタイトルだけ見ると、説教臭い人生訓かと思いますが、しかしこの本、そんなもんじゃなかったので本当に楽しく読むことができました。それどころか養老先生、「師匠」と呼ばせていただきたくなるほど、世界の見方が面白い!今の世の中に対して、大きな「?」を投げ掛けていらっしゃるところなど痛快です。
皆さんもそうだと思いますが、日頃、常識と言われるものに対して「?」を感じることはたくさんあるのではないでしょうか?例えば僕の場合、仕事の場面では、なんでも計画を立てなければなりません。こういう企画でこういう施策をすれば、1年後にはこれぐらいの効果が上がる・・・というふうに理詰めで数値化して、さぞかし立派なプランであるかのように見せかけるわけです。そういうことをしてますが、心の中では「1年後のことなんか予想できるわけないでしょ?真剣に考えるだけムダ」と思っています。「なんとなく、そうなるんじゃないかな?」という程度なんですけど、それではみんなが納得しないので、とりあえずそれらしい理屈を考える。なぜこんな矛盾を抱えないと、ビジネスの世界はやっていけないのだろうか?一体誰がこんな世の中にしたんだろうかと・・・。
そもそも僕は、子どもの頃から予定を立てたり目的と持つことが本当に苦手でした。「将来○○になるために、○○の学校に入って○○の勉強をしよう」というような思考パターンが無かったから。いくら考えても将来など予測できなかったから。だから好きなことは一生懸命にやり、好きでないことは適当にやり、いい加減な過ごし方をしてきたと思います。今だって人生設計なんて無いに等しいです。
これも養老先生流に言えば「予定を立てたり目的を持ったりすることは、未来の可能性を限定してしまう」卑屈な意識ということになります。今までこんなことをおっしゃる東大名誉教授はいらっしゃらなかったように思います。先生の本を読んでいると自分を肯定してくださっているみたいで、とても嬉しくなりました。もちろん自分の子どもにも、「勉強して○○になれ」というような助言は一切しないでおこうと思っていましたが、これで確信しました。いや、我が身を省みれば、そんなこと言えっこありません。
養老先生によると、こういった疑問・矛盾は、すべて人間の脳(=意識)の産物なんだそうです。人間の社会は、特に都会になるほど、人の意識(=脳)によって作られたモノや制度(=人工物)で埋め尽くされていく。人工物というのは自然のものではないから、つまり文字通り「不自然」なものをたくさん作ってしまう。すると不自然なものができ過ぎて、それを不自然と感じる意識すら制御されてしまい、いよいよ窮屈な状況をつくり出しているのではないか??? それは実感として思います。
最後に、本の中で印象に残った言葉をひとつ。
「波や地面、虫など何でもいいのですが、
 人間が意識してつくったものでないものを
 一日に一回、十五分でも結構ですから、
 見てほしいということです」
意識を持ってしまった人間が、今さら自然に帰ることはできませんが、こんな意識を持った生き物は広い宇宙では、あくまでも超少数派だという意識は持っておいたほうがよさそうです。