普通幻想論

lo-tus2009-09-30


人は時々「普通の暮らしが一番」とか「普通の幸せがほしい」なんてことを言いますよね。その昔「普通の女の子に戻りたい」と、マイクを置いたアイドルグループもありましたっけ。しかしですよ。この「普通」ほど捕えどころの無いものは無いなと、僕などは思います。
「普通」を言い換えると、「平均的」とか「常識的」という意味でしょうか?ならば「普通の人」と言う場合、すべてにおいて平均値を満たしている人ということになりますが、こんな人は居そうで居ないことに気がつきました。身長、体重は平均的、睡眠時間は6、7時間。バランスの良い食事を1日3回とり、好き嫌いも少々。普通のレベルの学校を卒業して普通の職につき、少し貯蓄ができるぐらいの平均的収入あり。友人と話題を共有できるようなポピュラーな趣味を持ち、普通の家族と平和に暮らしている・・・。どうでしょう?多分こんな人はまず居ない。「サザエさん」が日本の家族の典型のように言われますけど、実際にあんな家族が居たら異様でしょ?それと同じです。つまり、みんなが普通だとイメージするものこそ、実はアブノーマルだったり。
それに「普通」の基準が人それぞれ違うというのも厄介です。例えばですが、僕がイメージする「普通」は、沢尻エリカが持っている「普通」とも、亀井静香金融・郵政問題担当相が持っている「普通」とも確実に違うと思うのです。大小の差はあるけれど、個人個人の「普通」の感覚には差異がある。つまり人の数だけ「普通」があるとすると、それは普通でも何でもないのではないか?? そう「普通」なんて誰とも共有できない、幻の言葉に過ぎないのです。
こういうことは特に海外に行った時などは強烈に感じます。言葉も習慣も違う人たちの間に入れば、普通も何も、感覚の軸自体が別世界なので共有しようがないですね。恐る恐る、その軸を立てるためのコミュニケーションから始めなければなりません。時には自分が持っている「普通」の基準がガタガタと崩れることもあって・・・それはそれで楽しいことなのですが。
さて先日、美容院で髪を切ってもらいました。大抵の場合、面倒なのでいつものスタイリストさんに「今回も普通に切ってください」とだけ伝えることが多いんですが、これも考えものですね。実際それで、同じ仕上りになったことが一度として無いですから。そのスタイリストさんのスキルの問題もあるかも知れませんが、「普通って言われてもなぁ・・・」、曖昧な指示に内心困っているのかも。自分で言うのは簡単だけど、他人の言うことを理解するのが究極に難しい言葉、それが「普通」ではないかしらん?と、今日はそんなことを普通に考えました。