雲水さん

lo-tus2009-11-03


一昨年世を去った祖母の納骨に、本山である福井の永平寺まで、先日家族で行ってきました。
修行の厳しいことで有名な禅寺・永平寺。「雪の中に立つお坊さんの図」や「座禅の背後からバシッと叩かれる図」など、あの典型的な修行イメージは、ここ永平寺のものだそうです。
秋晴れの良い天気で汗ばむほどだったのに、一歩境内に踏み込むと門の外のよりも明らかに気温が低い。また、ピカピカに磨き上げられた境内や建物、そしてこれまたピカピカに剃り上げられた雲水さん(若い修行僧)の頭も・・・、何やら全てが清々しい印象です。僕などは普段の忙しさにかまけて、身の回りの整頓も怠りがちなのですが、こういうきちんと行き届いた空間に身を置くと、自然と心の垢まで落ちていくようで、やはり身の回りの環境と人の精神状態というのはリンクしているなと腑に落ちるのでした。
境内はどの場所でも写真撮影はOK。ただし雲水さんだけはカメラを向けてはいけないとのこと(修行の邪魔になるからでしょうか?)。もっと閉ざされた空間を想像していたのですが、意外とオープンなのがうれしい。例えば京都の有名寺院では、文化財を守ることを第一に考え拝観謝絶とか撮影禁止など普通。しかし永平寺では、物よりも「人」を第一に考え、その修行環境を守ることを大切にしているようです。現世を生きる人、誰にでも広く開かれたお寺・・・とは言え、ここに修行に入るのって、僕たち一般人にはなかなか勇気のいることです。「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があるように「永平寺の門をくぐる」という言い方だって成り立ちそうな気がします(=覚悟を決める、の意味)。そう言えば確か若き日の横尾忠則さんも、自分に自信がなくなったときここに修行に来て、後に本を書いたりしていましたね。
さて法要を済ませた後、弱冠22歳という若い雲水さんが寺の中を案内してくれることに。普通は遊びたい盛りの若者なのに、ある程度の覚悟を持ってここに来ているのでしょう。建物を巡りながらその説明をしてくれたり、普段の修行生活についていろいろと教えてくれました。とても真面目で爽やかな感じの青年でしたが、意外とおもしろい冗談なんかも挟んで、なかなかガイドとしてのツボも心得ている様子。もっと厳しい雰囲気で案内され、いきなり座禅体験をさせられ叩かれるかも知れないなと実は少しビクビクしていたので、この待遇はちょっと拍子抜け。永平寺は、観光客にはやさしいお寺でした。
「みなさんだいたいどれぐらいの期間ここで修行をされるのですか?」という質問をすると「特に期限はありません。自分で納得するまで居ていいのです」とのこと。「ここでは、生活の全てが修行」とおっしゃていたのが印象的でした。座禅だけじゃなくて、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、こうして僕たちのような俗人と接するときも、全ての行動を律する基盤を持つこと。もし自分たちも普段の生活に何か「基盤」を持つことができたなら、今よりもう少し意義深い生活が出来るだろうか?・・・そんなことをぼんやり考えます。
最後に「雲水」という言葉、とても面白い言い方だと思います。「雲」も「水」も、一瞬も留まらず形を持たない自由な存在ですよね。一方雲水さんたちは自由には程遠く、朝3時半の起床から始まる日課に従って、徹底的に規則正しい生活をしている。なのに名前だけは雲であり水であるという逆説。しかし修行の後に、なかなか意のままにならない自我をコントロールする術を体得したならば、初めて何にもとらわれない自由な境地が立ち現れてくるのかと・・・そのへんのひねり方が、「禅」ということか??