サーカスがやって来た

lo-tus2010-01-25

京都にサーカスがやって来ると、いつも幸運なことに無料招待券がどこからか回ってくるので、ここ数年の公演は必ずと言っていいほど観に行ってます。今回は木下大サーカス at 伏見桃山城。
何度も観ていて、だいたい演目も分かっているのに、やはり懲りもせず興奮してしまうのがサーカス。考えてみれば、今も昔も変わらぬ息の長い娯楽ですね。21世紀には廃れるだろうと思っていたら、実際はそうじゃなかった。何かもう、時代を超えた魅力があって、スポットライトが当たった円形競技場は、老若男女誰でも飲み込む異次元空間という感じがします。
すごい大技が次々と繰り出されるとハラハラドキドキ、おっかなびっくりなのですが、派手なだけじゃなくてちょっとせつないところも味わい深く、時代を超越できた要因でしょうか?そのせつなさの根本は、やはり「サーカス団員」その人間的な陰影ではないかと思います。街から街へ移動して定住・安定が許されない旅芸人であるし、身一つで観客に挑む究極の肉体労働者。かといって素晴らしい技を披露しても、個人的に名前を売るスターになり得ず、あくまでも多種多様な演目があるからこそ成り立つサーカスの「団員の一人」でしかなくて・・・そういう意味ではピエロだけではなく団員全員がピエロ的、つまり「社会の裏方」的存在なのですね。
だからサーカスを観ていると、拍手と笑いと涙と・・・ホントに感情の起伏が忙しいです。特に、サーカスの華「空中プランコ」など、笑いながら涙が出ます。個人的に一番弱いポイントは、精鋭メンバーの中に一人だけ混じったピエロ。お約束のようにズボンが脱げて、さらに派手なパンツをはいていたり、なるべく面白い格好でネットに落下したりするところなど(モーグシンセの落下SEあり)、ホントにせつなくて仕方ないです。
さてそんなサーカスに一つだけ注文をつけるなら、それは演技中のBGM。アップテンポのテクノっぽい曲が多くて、確かに盛り上げ効果は認めますが、あれは変えた方が良いと思います。はやりマッタリ系のジャズやラウンジ、映画音楽が最適でしょう。特に哀愁ただようトランペットの甲高い音色などテントの中で響かせてほしいし、例えば一番使ってほしい曲はジェルソミーナ(フェリーニ「道」)とか・・・。舞台の脇でDJやらせてください!