モンスーン

lo-tus2008-07-27


なんですかね?この暑さは。京都という街もこの暑ささえ無ければもっと好きになるんだけれど・・・。
暑いと人間何もする気が無くなるもので、周囲を見ていると、特に女性よりも男性のほうが暑さに弱いし、辛抱が足りん気がします(自分のことです)。南の島の男たちがあまり働かない理由、すごくよくわかります。
何もする気が起こらないのでせめて音楽でも聴いてボーッとしようと思っても、なんだかぴったり来る音楽がない。積極的に探す気もない。例えるなら、食欲が無い時に、無理矢理冷蔵庫を開けて、ご飯のおかずを探すようなものです。「なんかない?」って。
こんな時、貯蔵庫(レコード棚)に手を伸ばすと、困った時の最後の砦、民族音楽コーナー(大したコレクションじゃないけど)。中でも、この暑さに対抗できるのは、アジアのパワーでしょ。暑い時は暑い国の音楽に限る。
そんなわけで、ここ数日は特にガムランシタールが鳴りっぱなしです。これは良いです。サーっと風が吹き抜ける感じ。
バリやインドの音楽を聴いて思うのは、暑い国の人たちは、涼もうなんて思ってませんね。暑さを忘れるためには、気温以上に熱い音楽を奏でて脳をトロトロにすれば、「暑い!」なんていう俗っぽい煩悩は消えるはず・・・そんな解脱の音楽です。居ながらにして地上から脱出(トリップ)させてくれます。
トリップついでに、もう一つ好きなのが同じアジアで、地理的に天上に近い山のほうの音楽も。ネパールのサントゥール(極楽弦楽器)やモンゴルのホーミー(魅惑の喉笛、あるいは市場の魚屋さん?)などは大好きで、こちらは目の前に雪山や草原が広がります。さすがに山の遙か遠くまで響くように作られた音楽。空気が澄んでくるかのよう。
こうして音楽でアジア旅行をすると、それぞれ違うけれど、底のほうには同じものが流れているような気もしてきます。そんな共通の感覚を比喩的に言えば・・・「モンスーンの音楽」。音楽にアジアの風を感じるということは、自分もアジア人の端くれなんだなと実感します。
しかし気がつくと、こんな時どうして外国の民族音楽ばかりを聴いて、地元日本の民族音楽を聴かないのだろうか?と思います。まあ理由はハッキリしていて、沖縄の音楽以外の日本本土の伝統音楽(雅楽・民謡など)は、一部の例外はあるけれど、聴いた時に「風」を感じることができないから。(「お座敷音楽」として大切に守られている反面、座敷の襖のせいで風が澱んでいるのでは?)
どれだけ暑くても、風を起こし幻想を見せてくれるバリやインドや沖縄の音楽、そして人々の生活に、真夏の今は憧れます。
さてさて、もうすぐ夏休みを予定。今度は本当に涼しい場所に出掛けるつもりです。行ってきます。